戦闘が続いて気が抜けていたのだと思う。 敵を打ち上げ叩きつけ、地面に降り立とうとしたまさにその時だった。 知らぬ間に疲れの溜まっていた足は地に辿り着いた途端バランスを崩し、いきなりのことにはある程度対応できる身体も疲労のせいか上手く動いてくれない。 痛みが右半身に刺さるように広がって、漸く地に倒れ叩きつけられたのだと気づく。 不運は重なるもので、今まさに対峙していた魔物は多少なりとも知能があったらしく、すぐさま目標を変えてその鋭い牙で私へ襲い掛かる。 避けようとしてもそれはもう間に合わない距離まで近づいていた。 そして目の前に広がった光景に、眼を見開く。 ―――窓の外には満月が淡白く光っている。 真夜中の帳が下りようやく一段落ついたところで、私はおもむろに視界を動かした。 暖炉の炎だけで照らされる室内は仄暗いが、見渡せば目的の色はすぐに見つかった。 その色を身に纏うのは仲間達の中でも一人しかいないから、簡単なものである。 忍び寄るようにそっと背中へ歩み寄れば、『彼』は正確に言えばその色を身に纏ってはいなかった。 袖を通さぬまま器用に肩に掛けられているその紫紺は、常のように少し古ぼけたように色褪せている。 「レイヴン。こんなところで寝ていては、風邪をひくわ」 そんなことを口にしたのは暖炉の前で浅く腰かけるその体制が何故か眠っているように見えたからだ。 『こんなところ』とは言うもののれっきとした宿屋のロビーではあるが、それでも寒いものは寒いだろう。 「ん〜……、ジュディスちゃん?」 ある意味では冗談のつもりだったのだが、どうやら本当に眠っていたらしい。 声は引き攣った風のようにほんの少し掠れていた。 背中がもぞもぞと動いて、紫紺が少しずれ落ちながらも顔がこちらを向く。 眠そうにこすられていた瞼が空いて碧の瞳がようやくこちらを映した。 深く、それでいて透明で、澄んだ空の色。 寝ぼけてでもいるのだろうか、焦点ははっきりとは定まっていないようだった。 「いくら暖炉の前でも、本当に風邪をひいてしまうわ。部屋に戻りましょう?」 「う〜ん……。俺はも少し、ここに居るよ」 ずれた紫紺を直して再び暖炉に向きなおる。 意識はちゃんとしているようだが、その仕草が妙におとなしいことにほんの少し目を瞬かせる。 「ジュディスちゃんこそ、風邪ひいちゃうよ?」 「……私ももう少し、起きていたいから」 口はそう言葉を紡ぎ、疲れた足は自然と彼の腰かける長椅子の、一つ分間を開けたところに腰を下ろした。 暖炉の火は薄暗い部屋の中でパチパチと音を立てて揺れている。 「まいったねぇ……」 「あら、何のこと?」 「おっさん、まさかそこまで気にするもんだと思わなかったからさ」 「…………、そこまで非情な性格に見えるのかしら、私って」 「え? や、そうじゃなくて」 「わかってるわ」 慌てる姿に笑みを零して彼の瞳から目線を下にずらす。 後ろからでは見えなかった、無色の白が其処にあった。 「訊いてもいいかしら?」 「……おっさんが応えられることだったら」 常とは違う瞳の色と、応えに違和感は拭えなかった。 「もう、死にたいなんて思っていないのよね?」 自分でも口にしたくはない問いだった。 「もっちろん。それに俺の命は、"凛々の明星"のもんでしょ」 「……本当に、それだけかしら?」 碧空を宿す瞳が、爆ぜる灯を映して今は紅く揺れている。 炎を宿してたゆたうそれを見て、私は何故か急に恐ろしくなる。 しかし僅かな怯えは灯の震えに掻き消されるように霧散していくようだった。 「大丈夫だよ。おっさんはだいじょーぶ」 安心させるように言葉を掛けられても、 それでも消しきれない不安があることに、私はやはり気づいている。 「おっさんそんなに信用ないかなぁ……」 「そんなわけはないわ。ただ」 紡ごうとしたはずの言葉は明けの色を帯びた碧に吸い込まれるように声にならない。 見つめる瞳はどこまでも深く、それでいて全てを見透かすようだった。 「―――私があなたを真っ直ぐ見るとき、あなたは何時も傷ついている」 あの瞬間を未だに憶えている。 視界を覆った色。そして、散った飛沫の色。 今一番傷ついて欲しくない人は、何時だって誰かのために傷つくのだ。 「俺はそんなに器用じゃないからさ」 傷痕の残らない腕で傷痕の残るそれに包帯の上からそっと触れる。 「こんなやり方じゃなきゃ、気持ちってのを表せないのよ」 皮肉なことにね、とそう締めくくって柔らかく微笑んだ彼を見て、私は怒っていいのか哀しみたいのか分からなかった。 霞のように飛び散った血の紅と、盾のように視界を塞いだ紫紺が、未だ私の脳裏に焼き付いて離れない。 |