歩く足はしっかとしているのにどこか覚束無い。
 異質なそれに身体が慣れていないのだろう。感覚も動きも本当に己のそれであるのか分からない。
 少なくとも開いた眼にもう光が映らないということは確かだった。




  世界の終わりまで




 足を進めるたびに鎧が無機質な音を立てる。乾いた風は土と埃しか運ばない。
 思考ははっきりとしているのに視線はどこか遠くを見ていた。
 瓦礫と、残骸と、もう臭わない掠れた紅を横切っていく。人気なんてものは微塵もなかった。
 当り前だ。
 自分たちが、自分が、そこに息づく者たちの居場所を奪い、踏みつけ、穢し、廃屋としたのだから。
 生きとし生けるもの、命慟は既に此処に無い。


 暗闇の淵より目覚め、絶望の宣告を告げられ、今一度少しの孤独を与えられ、何を思ったかここへ来た。
 懺悔でもしたかったのか。赦しなどもう与えられないと知っているにもかかわらず。
 罪を犯した者に贖罪の機会を与えるのが、自分たち騎士の務めだと、そう信じていた。否信じたかった。
 しかし赤の鎧をまとったあの将は、自ら罪をこの身に埋め込んだと言ってみせた。
 ―――あの頃の自分なら醜いと言えるほどの、そんな誇らしげな笑みを浮かべて。




 不意に立ち止まると添うように風もまた凪ぐのをやめた。
 今はもう亡いあの弓使いの女性に、生き様が風のようだと言われたことをまざまざと思い出す。
 ―――風なら何処までも行けただろう。行きたい場所へ、この足で歩いて行けただろう。
 本当に風になることができていたなら。この身体は何処へ向かったのだろうか。
 無性に今は何かを考えたかった。考えていたかった。考えずにはいられなかった。
 思考を止めてしまえば、もう自分は自分ではいられない。そう思ったのかもしれない。


 肺の隅々まで澄んだ空気を吸い込んで、そして吐く。
 呼吸をすることで人はまた一歩終わりに近づいていくのだと、自分がまだ『生きていた』頃に誰かがそう呟いていた。
 そして呼吸で人が生きていられるのなら、生きることは終わりに近づくことと同じなのだとも。
 何とも皮肉なことだ。偽りの命を与えられ、そして終わりを望んでいるというのに、それを前提にして『生』きなければならないのだから。
 あの時は何とも陰気な考えだと笑って背中を叩いたものだが、今なら抱えていた恐れが見えるような気がした。
 この偽りを抱えた足でどこまで歩いていけるだろう。
 今まで行くことのできた場所にはもう向かえない。
 温かく自分を迎えてくれた世界には、もう。


 なら『かえれない風』は、一体何処へ行けばいいのだろう?




(大丈夫)
 止まった風が強く穏やかに吹き抜ける。
(歩いていけるわ)
 聞いたことのない、けれど何処かで聞いた声が、聴こえた気がした。


「……だれ」
 問いかけた筈の言葉は疑問にはならなかった。
 だってもう自分に心はないのだ。
 心がないなら、疑問なんて持つ筈もないのだ。
 ―――まるで自分に言い聞かせているようだと、嘆息するように目を閉じる。
(歩いていけるわ)
 もう一度だけ、優しい声が聴こえた。




 世界が終わるその時まで、自分はこの足で歩いていける。
 それに深く安堵して、聴こえた声を瞼の向こうへ閉じ込める。
 もう聞こえはしないだろうから。
 この耳で捉えることは、もうできないだろうから。


 息吹は一つしか聞こえない。
 此処にもう命はない。
 在るのは一人の―――人形だけ。


 まだ、この足で歩いていける。
 その言葉だけが支えで、それ以外を退けて思考を止めた。
 もう一つ息を吸って吐いて、また終わりへ近づいた。


 風がもう一度吹き抜けた。