青年魔法使いと女商人です
 ハーメル…魔法使い(男)、青年、枯草色長髪、いのちしらず、24
 ラピス…商人(女)、しょうじきもの、19







 太陽は高らかで、優しい。
 月はささやかで、尊い。
 そんな抽象的な言葉で、物語の終わりは綴られていて。
 持ち合わせていた最後の本をぱたりと閉じて、ハーメルは独り息をついた。



 眠れない夜は、限って月の光が冴えた夜だ。
 青白い神秘の光を浴びた途端、自分の中の睡魔が文字通り、眠るように死んでいく。そして次の夜には何事もなかったように、また全てが元の通りに息づいている。
 物心ついた頃から共に過ごしてきたそれを、煩わしく思ったことは一度もない。深い眠りをそれほど必要としない体質だったことも一因だった。
 だが今夜のように暇潰しの道具を使いきってしまうと、些か退屈な時間がやってくる。
 大抵は物思いに耽る時間にあてられるのだが、何故か今夜は思考を働かせることすら億劫だった。
 窓枠に腰掛けたまま、おもむろに後方の頭上に佇む唯一の光源を見上げる。
 オーブと同じ輪郭を持ち、しかし半分以上その身を隠した弓張の月は、やはり冴えきった蒼を祝福のように降らせるばかりだ。
 祝福も静寂も、退屈をやり過ごす術を教えてはくれない。
「そろそろ本、調達しないとな……」
 持て余した暇を有効活用すべく、脳が勝手に明日の予定を書き込み始めた、その時だった。



 こん、こん、と。
 月夜の静寂(しじま)に、木製の響きはやけに通って空気を震わせた。
 ノックをしたのなら、物取りではない。夜も更けたこの時分に、宿の人間が訪ねてくる理由もない。
 おそらく仲間内の誰かだろうと判断した上で、ドア向こうの誰かに許可を告げる。
「鍵なら開いている。勝手に入って構わない」
 夜更けに戸を叩いたことに、些か躊躇いがあったのだろうか。幾ばくかの間をおいて、酷くゆっくりとドアは開いた。半分ほど開け放たれたところで、訪問者がおどおどと顔を覗かせる。
 背後の月光が照らしたおかげで、ようやく訪問者の姿を捉える事が出来た。
 いつもは高く結われている髪が下りているのは珍しいが、その格好は明らかに眠りにつく際のそれで、腕には何故か枕を抱えている。割り当てられた部屋から持ってきたのだろうか。
「ラピス。どうしたんだ? こんな夜中に」
 声をかければ、商人の少女は瞳を数度瞬かせた。とっくに寝ていると思っていたのだろう。
「……えっと、その、お願いがあって」
「お願い?」



「……眠れないんです。一緒に、寝てもいいですか……?」



 本来は一人用のベッドだったが、特に狭く感じることもなく、二人並んで横になることが出来た。
「ハーメルさんも、眠れなかったんですか?」
「いや、俺はいつものことだから」
「いつもこんな夜遅くまで?」
「時々だ」
 向かい合って話しているうちに、細い指が目の前まで伸びてきた。何をするかと思えば、前髪に触れてくる。
「ハーメルさんの髪、不思議ですね。月光みたい」
「そんなに綺麗なものじゃない。ただ色が薄いだけだ」
「でも、綺麗です」
 ラピスに自分の意見を変える意志はないらしく、拒みたいわけでもなかったので、触れてくる指をそのまま好きにさせてやる。
 時折小さな手の指先が額を掠めるのが、こそばゆくくすぐったい。
 ふと、すぐ目の前の髪にも興味が湧いて、自分の頭の下に置いた手を動かして触れる。断りもなかったが、ラピスは瞬き一つで受け入れてくれた。
「ラピスの髪こそ、不思議だ。どうしてこんなに鮮やかなんだ?」
「んー……。太陽をたくさん浴びて育ったからでしょうか。あ、そのせいか私、今じゃ全然焼けないんですよ」
 彼女は性質こそ穏やかだが、心はしっかと立っている。快活で、朗らかで。太陽の娘といわれても何ら違和感はない。
 前髪に触れていた手をさらに伸ばして、やわらかな色によく似た触り心地の髪を天辺から撫でる。
 流れで腕が枕になってしまったラピスは、頭の位置を調整した後、にこりと微笑んだ。
「お父さんも全然焼けない人だったらしいんです。お母さんいつも言ってました。男の人なのに不思議だって」
「……俺も一応、男なんだがな」
 言ってから、拒む理由はあったことに今更気がついたが、既に遅かった。
 床の上の冗談にしては、ましてや今の状況においては、少々度が過ぎただろうか。
 しばし、沈黙が二人の間の狭い空間を通り過ぎる。
 ラピスは、案の定血の巡りが良い頬を更に真っ赤に―――するかと思いきや。



「そう、ですよね……そうでした」
 とんだ爆弾を落としてくれた。



 ぽとりと、窓枠から夜露の雫が垂れた音で、ゆっくりと我に返る。
 真に驚くべきは台詞ではなく、本当に今思い出したと言わんばかりの彼女の表情だろう。
 オーブのように丸まり、月明かりを映す瞳にじーっと見つめられて、しばし言葉を無くしてしまう。
 ―――壁にかかった時計の秒針が一回りした頃、ようやく返答を試みてみたは、いいものの。
「……あの」
「そうですよね……! ハーメルさんもれっきとした男の人ですよね。どうしてそんな簡単なこと、忘れてたんでしょう」
 俺に訊かれても困る。
 ラピスは心底驚いたような顔で、どうやら嘘でも冗談でもないことが見て取れた。
 ……もちろん『しょうじきもの』を地でいく彼女の辞書に、『嘘』という方法が存在するわけもないのだけれど。
 一連の流れで腕枕をしてしまっている状況の中、どうにか思案に耽る。
(……こういう場合、どう返せばいいのだろう)
 脳内の海を覗いても浮かび上がる言葉は一つもなく、ただ青を帯びた真っ暗闇の中に色の無い沈黙を漂わせるだけだ。
 海中を照らしてくれる筈の月も、今宵だけは目の前の彼女にやわらかな光を届けるのが精一杯のようで。

「あ……解りました!」
 突然ラピスは身体をもぞもぞと動かし、台詞から大分遅れて、引っ張り上げた両手を合わせた。



「男の人も女の人も、関係ないんですね。ハーメルさんは、私の特別な、大切な人ですから」



 太陽は高らかで、優しい。
 月はささやかで、尊い。
 そんな抽象的な言葉ではなく、簡単でしかし明瞭な言葉をはっきりと。
 自分に向けられた言葉だと理解するには、長い時間を必要とした。
 当の本人はというと、答えが得られたことが嬉しくて仕方ないらしく、合わせたままの両手を口元に寄せて、笑っている。夜間だということを慮ってか、昼間のそれよりは控えめに。
 小さな笑い声が、部屋中に染み込んでいく。空気を伝って。波紋のように。
 彼女のつくる波紋は、決して嫌いではない。
 むしろ、今まで感じた誰のものより、心地良い。
 祈りの歌が大地に力を与えるように、彼女の声は安らぐことを教えてくれる。太陽のように、月のように。



「……ハハ」
 気づけば、笑い声は一つ増えていた。
 彼女の優しい身体を両腕で包みこんで、彼女に倣うようにして、ささやかに笑い声を上げた。
 月が愛でる太陽のような少女は、こちらの温度を拒むこともなく、寝巻きを握るようにしがみ付きながらなおも笑い続けている。
 その声が、あまりにも楽しそうだから。
 あまりにも、幸せそうだから。
(……これだから)
 彼女の傍は離れ難いのだと、実感した。



 ―――重なり合う笑い声は密やかなままに、やがて穏やかなままに止んで。
 見届けるのが役目だったとでも言うように、月も静かに、その瞳を閉じていった。






太陽のもとに生まれた娘は、導の無い闇夜を照らす月のようでもある。

頭の中にふわっと浮かんだ設定を使って広げて、久しぶりに書いてみました。私にしては砂糖過多だと思っています。虫歯にご注意ください(←)
調子に乗って他のキャラも考えてみたんですけどね、出すかどうかは不明です。でも名前くらいは出したいなぁ。
ちなみに二人の本名はハーメル=ヴィオラ、ラピス=アルフェットです(名字まで考えるの大好き)
[ 11.04.28 ]


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